2020-12-29
2020年もありがとう
2020-12-13
宝石箱
2020-12-10
2020-12-07
「そののちに」
2020-10-19
水を得た魚
2020-10-10
尾張の民話「ガックリフミチャン2020」
むかしむかし、あるところに、フミチャンという
たいそうなウッカリサンがおったと。
ある日のこと、コインパーキングではらう100円玉がなかったの
近くのコンビニへいって買い物をすることにしたそうな。
そしてお菓子をひとつ買ったけれど、
クレジットカードで払って出てきてしまったそうな。
あっ!と気づいてコンビニにもどり、
一万円札ではらって小銭を
そんな自分にガックリして、アチャー!とかつぶやいたそうな。
そうして思いがけずできあがったオヤツのセットを食べながら
運転
めでたしめでたし。
おしまい。
2020-09-22
象徴
2020-09-17
食べたい季節
サンマが不漁だそう。
初競りで1キロあたりの最高値が11,000円というニュースだったけれど、
生態系がガタガタと崩れているのかなあ。
1尾38円で叩き売りになるような年もあって、そんなのを目にすると大変だなあと思うし、
食べられないかもと言われると素直に寂しい気持ちになる。
先日サバを焼いた。脂がのって、
野菜売り場にサツマイモが何種類も並び、
同時に脳内で、甘くねっとりした粒子をモグモグ味わっているのに気づく。
エア・ギターならぬエア・焼き芋。
栗きんとんの製造風景を、例年と同じく「
よーいどん!で始まったような湯気のあがる活気が伝わってきた。
「栗!食べたい!」・・・いとも簡単にマスメディアの思惑にはまる。
こうやって考えてみると、
消費者目線での、とっても食い意地のはった日々の気づきばかりだった。
2020-05-12
万人にとっての正解とは
たくさんの制限がある日常がいきなり始まった。
2020-03-20
父とおにぎり
幼い頃、父と二人っきりで観覧車の中でおにぎりを食べた光景を
くっきり鮮明に覚えている。
二人でどこかなんて、たぶんあとにも先にもないと思う。
実家のアルバムには、その日父が撮った写真が1枚あった。
縞々模様のとっくりセーターを着て、マジンガーZの遊具にまたがり
難しい顔をした3歳の私がおさまっている。
観覧車の写真はない。
弟が生まれてくる間際の冬の日、父と二人で遊園地に行ったのだそう。
お腹の大きい母がお弁当をもたせて送り出してくれたのだと思う。
連れて行ってもらったことも他の乗り物も全く覚えていないけれど、
並んで座っておにぎりを食べた事実だけが、
大切に胸の中におさまっている。
一周で降りなければならない短い間に、
父は何故おにぎりを出したのか?ということは疑問のままに、
観覧車を見つけるたびに思い出して、
もしかしたら、頭のなかで絵面も描き変わってるかもしれないけれど。
こどもにまるで関心のなさそうな父は、私にとって理解するのがむつかしい存在だったけれど、
「ちょっぴりしあわせな思い出もあるんだ」という小さな事実に、
大きく救われて心が凪ぐ自分がいる。
(あれ?もしや、1970年代の観覧車は、
そのまま何周でも乗せてもらえるシステムだったのかなあ・・・・・・?)