2015-08-29

ブラックベリーころころん



 
 
郡上八幡からやってきた美しいブラックベリー。
 
キュートな赤い実が、熟すとこんなにシックな黒に色づく。
 

 
 
生の状態での流通量が少ないのは、
皮が軟らかく、鮮度を保てる時間が短いからだそう。
 
 
酸味が強くて、ほどよく大き目の粒は、
くせになりそうな食べごたえがある。
 
 
凍らせて、そのまま食べるのもおいしい!
 
 
 
 
 
火を入れて、種を濾すと、
紫色した甘酸っぱいステキな液体になって大活躍。
 
 
フローズンヨーグルトを作って、たらりとかけると、
酸っぱいコンビの相乗効果で、最高の夏のおやつとなりました。
 
 
 

2015-08-28

散ってなお可憐





線香花火の30連発だ!


「ミヤマシシウド」という、
なんだかごっつい印象の名前をもっているけれど、
花はとても繊細な佇まいをしている。


白く小さな花がたくさん固まって線香花火のように咲き、
花弁が散っても、まだパチパチかわいくはじける花火の姿。




2015-08-27

天井の魅力






豪快な小屋組みに、
心を奪われた。


広い土間と抜け感のある巨大な空間の、
なんと魅力的なことだろう。



 
 
 
 

2015-08-26

おわりのはじまり





北半球のあちらこちらで異常な暑さとなり、
世界規模でもハードな夏だった。


異常なことが日常になって久しい。
ほぼ40℃でも驚かない。


脳ミソが暖まりすぎたからなのか、
「このまま永遠に酷暑な日々が続くんだ」と錯覚を起こしかけた頃、
朝晩が涼やかになってきた。



そうだった。
四季があったことを、体が思い出す。


行きつ戻りつしながら秋へと歩みを進めていく、おたのしみの時期だ。



夏の終わりが始まった。







2015-08-21

センナリホオズキのグラデーション



明るい緑色から、
しだいに乾いた茶色に変化していく途中の、
少し紫がかった濃い色がまだらに出始める頃の色合いがたまりません。
 

 
 
ほれぼれします。
 
 


ちっちゃいのがまたいい。



 

 


 
 



 
 
 

2015-08-20

澄みわたる





どこまでも透き通り、澄みわたった水辺だった。
 
そして、葉からこぼれる陽射しがほどよく優しい、深い森。




ゆったりと息をしていたら、
からだのなかに空間が生まれて、
そこにスーッと、透明な風が通り抜けていくようだった。





小川にそっと手をさし入れてみたら、
ひんやりと小さな流れを手のひらいっぱいに感じた。







ここは、渋谷か新宿?というほどの人出で、
清浄な風景と対照的に、
遊歩道はアウトドアウェアでとってもカラフル。


あざやかで楽しい雰囲気に満ちている。










何度も何度も、胸いっぱいに大きく息を吸い込んだ。







































2015-08-10

日本人なら耳で涼



 
 
笹の葉さらさら、
聞こえても、
体感温度が下がらなかった!
 
 





写真的には28℃くらいの、
実はふつうに、38℃の町。






2015-08-07

つやつやイチジク









大量にカットしたイチジクは、
外側からは想像つかないようなあでやかさで、つやつやと光る。
キッチンも指先も、甘い香りで満たされた。

きび砂糖を入れて火にかけると、
とろりと透き通って、さらに色気を増した。









昔、イチジクで妙に感心した話がある。

20代前半の頃、同い年のとても色っぽい友人がいた。
お酒の席の会話で、
ある男性がその友人のことを、
「すごいね、熟したイチジクみたいだよねー」と評した。

うら若き女性に面と向かって、
ほめているのか、けなしているのか・・・・・・だけれど、
なるほど、妖艶なようすの最上級に思えた。


「もぎたての青りんご」なんかの対極にありそうだ。












2015-08-06

70年目の祈り





子どもだった頃、私にとって広島市は、
お盆とお正月とGWに訪れる大切な場所だった。

まだ瀬戸内海を渡る橋がなかった時代。
途中2時間弱のフェリーで船酔いしつつ、
家族そろって四国から「ひろしまのおばあちゃんちに帰る」のが、
いつも楽しみだった。

市内には路面電車が走っていて、独特のやさしい雰囲気がある。

当時、平和記念公園から歩いて10分ほどのところに祖父母の家があった。

平和公園へ散歩に行って、ちょっと腰を下ろすと、
バサバサっと大群の鳩が息苦しいほど近寄ってくる。

鉄筋がむきだしになった原爆ドームが、
いつも強く大事なことを訴えているのと、
皆の祈りを感じた。



6歳のころ、原爆資料館(広島平和記念資料館)に
初めて行った日、
ただひたすら恐ろしくてたまらなかった。

からだの底の方にずっしりと重く冷たく、
悲しみや怒りや、言葉にもならない感情が入ってきて、
満タンになった。

どんなに苦しかったか想像するしかできないけれど、
しばらくは夜寝ることも怖かった。

とてつもない凄惨な結果を、
歴史も世の中も何もわからない子供なりに、感覚的にくみとった。
絶対に同じことをしてはだめだと強く思った。



70年経ってなお、苦しんでいる方がたくさんいらっしゃる。
実体験をもつ最後の世代の、もう十分つらい思いをされた、
その高齢になった方たちが、
「あとわずかな残りの人生を原爆のことを伝えきるために使いたい」とおっしゃる。




「事実をひろく知ることと、想像力を働かせることで、
ほとんどのものごとはできあがっていく」
ということに、おとなになってみて気づいた。

毎日のささいな身づくろいから、仕事、政治も、なんだってそうだ。





なにがあろうとも、核兵器を使ってはいけない。