2015-08-06
70年目の祈り
子どもだった頃、私にとって広島市は、
お盆とお正月とGWに訪れる大切な場所だった。
まだ瀬戸内海を渡る橋がなかった時代。
途中2時間弱のフェリーで船酔いしつつ、
家族そろって四国から「ひろしまのおばあちゃんちに帰る」のが、
いつも楽しみだった。
市内には路面電車が走っていて、独特のやさしい雰囲気がある。
当時、平和記念公園から歩いて10分ほどのところに祖父母の家があった。
平和公園へ散歩に行って、ちょっと腰を下ろすと、
バサバサっと大群の鳩が息苦しいほど近寄ってくる。
鉄筋がむきだしになった原爆ドームが、
いつも強く大事なことを訴えているのと、
皆の祈りを感じた。
6歳のころ、原爆資料館(広島平和記念資料館)に
初めて行った日、
ただひたすら恐ろしくてたまらなかった。
からだの底の方にずっしりと重く冷たく、
悲しみや怒りや、言葉にもならない感情が入ってきて、
満タンになった。
どんなに苦しかったか想像するしかできないけれど、
しばらくは夜寝ることも怖かった。
とてつもない凄惨な結果を、
歴史も世の中も何もわからない子供なりに、感覚的にくみとった。
絶対に同じことをしてはだめだと強く思った。
70年経ってなお、苦しんでいる方がたくさんいらっしゃる。
実体験をもつ最後の世代の、もう十分つらい思いをされた、
その高齢になった方たちが、
「あとわずかな残りの人生を原爆のことを伝えきるために使いたい」とおっしゃる。
「事実をひろく知ることと、想像力を働かせることで、
ほとんどのものごとはできあがっていく」
ということに、おとなになってみて気づいた。
毎日のささいな身づくろいから、仕事、政治も、なんだってそうだ。
なにがあろうとも、核兵器を使ってはいけない。